6月28日(土)、書院広間にてミニ法座を開きました。下に、その際のご法話の一節を掲載いたします。

NHKで『あんぱん』という朝の連続ドラマが放映されています。子どもたちに愛される「アンパンマン」の原作者やなせたかしさんの生涯がモデルとなったお話です。おなじみの『アンパンマンのマーチ』には、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」というフレーズがあります。ドラマでは、タカシ(役名)の育ての親である伯父が、タカシとその弟に対してこの言葉を放ち、それに触発された2人がそれぞれの夢に向かって歩みだす様が描かれていました。
しかし、戦争により状況は一変し、タカシは陸軍に、弟は海軍に入り、それぞれ戦地に赴きます。タカシは生還するものの、最愛の弟は戦死してしまうのです。 終戦後、戦争という正義がまやかしであることを痛感したタカシが、「逆転しない正義があるとしたら、それを見つけたい」、と語るシーンが印象的でした。
意外かもしれませんが、仏教には「正義」という概念がありません。それは正義はある意味で一方的・恣意的であり、状況が変われば必ずひっくり返るからです。ただし、やなせさんのいう「逆転しない正義」は、仏教のお慈悲に通ずるのではないかと思います。仏様は、いつ何時も、どのような状況下でも、ご自分を後回しにして相手を第一にしてくださいます。それが決して裏切ることのない仏様のお慈悲というものです。
正義を振りかざしながら他を傷つけ自らも傷ついていく私の命の現実をご覧になった阿弥陀様は、あの迷いの命を逆転する正義から解き放つ、そんな仏となろうと願われました。そして果てしないご修行の末、南無阿弥陀仏という声の仏となって十劫(じっこう)もの永きにわたりこの命を喚(よ)び続けてくださったのです。決して逆転することのないお慈悲の心が私のために成就され、この命を包んでくださっていたことを、いまここにお聞かせいただきましょう。