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お盆法座を営みました

8月14日(木)にお盆法座を営み、ご参詣の皆さまともどもに、懐かしい方を偲びつつ仏法をお聴聞しました。

朝座は9時より本堂での讃仏偈(さんぶつげ)のお勤めとご法話、夜座は18時からお正信偈のお勤めと1席のご法話をお聴聞いたしました。両座とも引き続き、礼拝堂(らいはいどう)にて勤行・お焼香いただきました。(両座とも法話は住職が担当しました)

画像は左から朝座の勤行、夜座のお聴聞、同じく礼拝堂法要の様子

 幼い時、祖父に「死んだらどうなるん?」とたずねたことがあります。その時祖父は、簡単に答えを出しませんでした。なぜ長年住職を勤めてきたはずの祖父が、「お浄土に生まれるのだ」と、そのひとことを述べなかったのでしょうか。

 祖父母はその長男を若くして亡くしました。この伯父(私からみて)のことは祖母からは幾度となく聞かされましたが、祖父はほとんど語ることはありませんでした。しかし、後に祖父の遺稿集を読み進めていくうちに、祖父もまた深い悲しみを抱えていたことを知りました。ただし、その悲しみは悲しみだけでは終わりませんでした。祖父は、阿弥陀様の教えの中に長男の救いを求めてゆくうちに、かえってその悲しみを抱えてさまよう自身を目当てとして届いてくださる阿弥陀様のお慈悲に気づかされたといいます。そして、祖父にとって長男の死は単に悲しいだけのできごとではなく、自身を阿弥陀様の教えに出遇(あ)わせてくれた尊いご縁と敬っていったのです。

 いま私なりに思いますに、「お浄土に生まれる」、そのひとことで語り尽くせないものが祖父の胸の中にあったのであり、そのお浄土のみ教えが説き与えられたことの尊い意味を、あなた自身の人生の中で、聞き受けていってほしい、喜んでいってほしいという祖父の思いがあったのだと、味わわせていただいていおります。(住職)