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10月のミニ法座

10月25日(土)に書院広間にてミニ法座を営みました。

今回は、「平等のお救い」というテーマで、阿弥陀様のお慈悲が平等に我々をお救いくださるということについて味わわせていただきました。

如来(にょらい)の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩(くのう)の有情(うじょう)をすてずして

回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて 大悲心(だいひしん)をば成就(じょうじゅ)せり (『正像末和讃』)

 

平等と聞いて思い浮かぶのは、たとえば食料などを等しく分配するとか、そういったシチュエーションじゃないでしょうか。

多くの場合そこには、様々な基準や条件が伴うことでしょう。一見平等の基準を満たしているようで、別の視点からいえばそうともいえなかったり、かえって不公平に感じることもあるはずです。誰もがそれを平等だと認めていけるということは、この上なく難しいことなのかもしれません。

 

阿弥陀様の平等のお救いは、私の普段考える条件付きの平等と同じではありません。

阿弥陀様は、あらゆるいのちに平等に、そのお慈悲のすべてをそそごうと願われました。

このことは、阿弥陀様が、すべてのいのちを平等にご覧になると同時に、阿弥陀様ご自身と我々のいのちを平等にみてくださっているということでもあるのではないでしょうか。

すなわち、阿弥陀様と私の間での平等をも実現するために、南無阿弥陀仏という声の仏様となってここに届いてくださったのであり、そこにこの上ないお慈悲を完成なさったすがたがあるのだとお伺いします。

 

ただし、私たちが阿弥陀様と同じ平等のお慈悲をおこすのは、この生涯を終えてお浄土に参らせていただいた時です。今生においてはどこまでも煩悩を抱えた身であることに変わりはありません。そこを誤解すると、仏様のように振る舞えない自身の現実に、また苦悩せねばならなくなります。

 

ともどもに、この身このままが阿弥陀様のお慈悲に抱かれて、お浄土参りの人生を歩ませていただく、それが誰もが認め得る本当の平等のあり方だと味わわせていただいております。